こんにちは、投資家の政岡です。

私は1985年生まれの35歳、長野市の出身です。
このページは、最後まで必ず読んでください。
僕の自己紹介ストーリーに散りばめられている
「バイナリーオプションで稼ぐためのマインドセットとトレード必勝法」
ぜひ、お時間をとっていただき、最後まで読んでくださいませ。
では、始めさせていただきます。
この記事の目次
政岡の投資実績と自己紹介
僕は現在、FXやバイナリーオプションのトレードを行う傍らオウンドメディアを運営しています。

トレード初年度から年収3,000万円を超え、現在はシステムトレードだけで年収4,000万円を得ています。
今年からはバイナリーオプションのシステム開発に注力しています。
さらに、新しいトレードスタイルを実現するクローズドコミュニティを主宰しています。
ワイルドカードシステムとは・・・
また、僕たちのコミュニティが目指す「新たなファイナンシャルスタンダード」を世の中に発信していくため、Youtube, Twitter, オウンドメディアの運営を行っています。
長野県の片田舎に生まれる
物心ついた頃には既に父は他界していたので、母一人・子一人の家庭で育ちました。
この家庭環境の影響でしょうか、子供の頃から「僕がお母さんを守る!」という気持ちが強かったですね。

母に心配も迷惑も掛けたくないと思っていました。
思春期の多感な時期もグレる事無く勉学に励み、早稲田大学政治経済学部に進学、卒業後は大手証券会社に就職しました。
給料もかなり多くいただいていました。
僕自身は、高級ブランドやレストラン、海外旅行などに全く興味が無いタイプで、実家暮らしでしたので、28歳の時点で3,000万円くらいの貯金がありました。
数年はこのまま仕事に没頭して貯金を増やす、30代で結婚して子供も生まれて母も一緒に暮らせたらと、そんな家族団欒をぼんやり想像していました。
人生は思い通りに進まない。
28歳の時、母が他界しました。脳卒中でした。
持病もなく、その日の朝はいつも通りの笑顔でしたが…

葬儀が終わるまでの数日間の事は、今もほとんど思い出せません。
病院や役所関係の手続き、葬儀社との打ち合わせ、弔問者や会葬者への挨拶…
遺族にはやらなければいけない事が多いんですね。
葬儀が終わって一人になった時、やっと泣く事ができました。
母は幸せだったのか?
何の親孝行もできなかったのではないか?
就職してからの約6年間を振り返れば、母とは朝に顔を合わせる程度でした。
休日も疲れて寝てばかりいました。
仕事の忙しさを言い訳にして、母に何もしていなかったんです。
朝しか家族に会えず、子供の事は妻にまかせっきり。
そのうち家族に冷たい目で見られ熟年離婚…
このままでは程遠いと自覚しました。
時間とお金の両方に縛られたくない
母の49日を迎えた日、退職願を提出。
まずは株式投資とFXの取引を開始。
証券会社で得た知識が役立ち、再先の良いスタートとなったのですが…
翌年、2000万円溶かしました。
これにつきます。
今となってはですが、母が他界してすぐに自らエリートコースを離脱するなど、スタートの段階で冷静ではないですよね。
「欲を出して利益確定を見送ったら含み益が消失してしまった」
「損切りを躊躇っているうちに損失額を広げてしまった」
あなたにも似たような経験がありませんか?
これらもメンタルに左右された結果です。
システマチックに遂行することが勝利に繋がる
それからは確固たるトレードルールを確立する為、毎日18時間チャートを見続け、FXの研究に没頭しました。

解析、仮説構築、検証など研究工程が好きな気質なのでトライ&エラーの繰り返しで資金は減る一方でしたが、ワクワクした気持ちで熱中していたのを覚えています。
そんな研究生活を続けて3年。
この時の預金残高は40万円しかありませんでした。
ここまで約3000万円の費用がかかったわけです。
さらに3年間の研鑽を重ねメインロジックを構築。
現在、1億3200万円まで資産を増やすことができています。
まさにワイルドカード=敗者復活
資金40万円(生活費含む)から1億3200万円まで増やす事ができたのは、メインロジックの完成度は言わずもがなですが、バイナリーオプションに絞った事も要因のひとつかと思います。
株式投資やFXのように大きな資金は必要ありません。
例えばペイアウト倍率が1.85倍ですと、10,000円でエントリーした場合、勝てば18,500円になります。
勝率90%以上で10回エントリーしたと仮定してみましょう。

このように、あっという間に資産を増やす事が可能なわけです。
複利(利益を資金に回す)の力を利用すれば、さらに加速させる事ができます。